平塚から東海道の定番の宿場町を経て京都三条大橋まで行き着いたところで、そこから目的地の1つの若桜宿を経由し、由良宿に至る、おそらくは人生最大の自転車での帰省計画です。江戸期では膝栗毛での往復となりますが、令和の時代での人力による移動は、“馬の代わりに人力車にまたがって”と考えるのが合理的であると思います。
(膝栗毛:膝を栗毛の馬の代わりにして旅をすること。徒歩で旅行すること)
関連情報 :山陰街道の宿場町5 若桜宿と八鹿宿、 関宮宿か中瀬金山宿か

山陰街道の宿場町5 旧伊勢道 若桜宿と八鹿宿、 関宮宿か中瀬金山宿か
前回のまとめ。若桜宿の観光案内で、若桜宿を出てすぐに、江戸時代の道標があって、伊勢道は、こちらとの標識があるようです。つまり小代峠に向かう道が伊勢に向かう道である事を示しています。途中から氷ノ越(登山道)を越え関宮に向かいます。確定しました。京都から若桜宿までのルートは確定しました。人力車では秋岡村を経由することと県道531号、県道87号を使って山越えすることになります。次は京都から関宮宿に至るルートを再点検します。(道筋をさかのぼり、若桜宿から関宮宿まで)
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前回までのまとめ
大津宿から若桜宿まで、だいたい208㎞となります。
- 大津宿 ➡ (髭茶屋屋敷町、府道三十五号) ➡ 伏見宿
- 伏見宿 ➡ (府道二百一号、桂川橋、府道六十七号) ➡ 樫原宿 (計21.3km)
- 樫原宿 ➡ (国道九号線、老ノ坂、トンネル回避) ➡ 亀山宿 (計34km)
- 亀山宿 ➡ 園部宿 ➡ (国道九号線、観音峠隧道(回避不可)) ➡ 須知宿(計57.6㎞)
- 須知宿 ➡ (府道四百四十四号) ➡ 檜山宿 ➡ 莵原宿➡福知山宿
- 福知山宿 ➡ (国道九号線、トンネル回避) ➡ 額田 ➡ 矢名瀬宿(計125.1㎞)
- 矢名瀬宿 ➡ (国道九号線) ➡ 和田山宿 ➡ (国道九号線、県道二百七十一号、万福寺) ➡ 中瀬金山宿 (計169.0㎞)
- 中瀬金山宿 ➡ 氷ノ越(とりあえず登山道は回避、氷ノ山国際スキー場、但馬アルペンロード、秋岡村、小代峠) ➡ 茗荷村 ➡ 若桜宿 (計215.4㎞)
- 今回は、上述8.の前半部分の検証を行いました。京都方面から来る場合、九号線沿いの関宮宿➡中瀬金山宿➡氷ノ山登山道が旧伊勢道であることを実地確認しました。
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今回、分かったこと
- 中瀬金山宿を実際に訪れてみました。
- 「中瀬金山 関所広場 交流館」前に、以下の看板がありました。
- 交流館は、このコロナ下では、開館されていませんでした。開館されていないと、ウェブ以上の情報がとれません。
- 高札場跡もあるので、当時はそれなりの大きな宿場町だったと思います。金山関係で働く人たちが、それなりに居たのでしょう。その証拠に、5万分の1の地図を見ると、この小さそうな村に、お寺が4つもあります。
- 実際に走ってみて、特に面影が残っているという印象はありません。
中瀬バス停 宝泉寺脇
宿内の風景
下中瀬バス停
中瀬金山 関所広場 交流館 向かって左に展示してあるトロッコ
まとめ
- 若桜宿の隣の宿は中瀬だったと思います。今は商店も泊まれそうな宿も、ありません。
- 関宮~氷ノ山スキー場のホテルまで、淡々と県道87号を走行ですね。
- 今の関宮には、江戸期の活動を物語る遺構がありません(中瀬は関宮の一部ではあります)。
- 中瀬宿の手前の宿場は和田山宿だと思っております。次は、その辺りの検証をしてみたいと思います。
2021年8月8日
皆さんの参考になれば幸いです。
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