山陰街道の宿場町14 「山陰街道の宿場町4」の実地検証:旧伊勢道 若桜宿~八鹿宿~関宮宿

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2021年8月7日

平塚から東海道の定番の宿場町を経て京都三条大橋まで行き着いたところで、そこから目的地の1つの若桜宿を経由し、由良宿に至る、おそらくは人生最大の自転車での帰省計画です。江戸期では膝栗毛での往復となりますが、令和の時代での人力による移動は、“馬の代わりに人力車にまたがって”と考えるのが合理的であると思います。

(膝栗毛:膝を栗毛の馬の代わりにして旅をすること。徒歩で旅行すること)

前回までのまとめ
  •  大津宿から若桜宿まで、だいたい208㎞となります。
  1. 大津宿 ➡ (髭茶屋屋敷町、府道三十五号) ➡ 伏見宿
  2. 伏見宿 ➡ (府道二百一号、桂川橋、府道六十七号) ➡ 樫原宿  (計21.3km)
  3. 樫原宿 ➡ (国道九号線、老ノ坂、トンネル回避) ➡ 亀山宿 (計34km)
  4. 亀山宿  園部宿 ➡ (国道九号線、観音峠隧道(回避不可)) ➡ 須知宿(計57.6㎞)
  5. 須知宿  ➡ (府道四百四十四号) ➡ 檜山宿 ➡ 莵原宿➡福知山宿
  6. 福知山宿 ➡ (国道九号線、トンネル回避)  額田 ➡ 矢名瀬宿(計125.1㎞)
  7. 矢名瀬宿 ➡ (国道九号線) ➡ 和田山宿 ➡ (国道九号線、県道二百七十一号、万福寺) ➡ 中瀬金山宿 (計169.0㎞)
  8. 中瀬金山宿 ➡ 氷ノ越(とりあえず登山道は回避、氷ノ山国際スキー場、但馬アルペンロード、秋岡村、小代峠) ➡ 茗荷村 ➡ 若桜宿 (計215.4㎞)
  •  今回は上述8.の後半を検証します。

「山陰街道の宿場町4 若桜宿と八鹿宿 秋岡村の宿と県道五百三十一号」のまとめより↓

  • 若桜宿の観光案内によると、若桜宿を出てすぐに、江戸時代の道標があって、伊勢道は、こちらとの標識があります。つまり小代峠に向かう道が元伊勢に向かう道です。途中から氷ノ越(登山道)を越え、関宮に向かっていたようです。確定しました。
  • 人力車では秋岡村を経由することと県道八十七号を使って山越えすることになります。

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今回、分かったこと
  •  七月末と八月初に若桜宿~関宮宿の道筋を実走行確認しました。(私の調査主旨は、伊勢道の確認ですので、観光情報は最小限にしておきます)実際には八鹿宿は通過しません。手前で脇道にソレていきます。

観光に関心がある方は下記のURL先へどうぞ。

http://kanko.town.wakasa.tottori.jp/search/area/area-wakasa/

若桜宿の古老に聞きました。若桜宿にはもう旅館がないそうです。インターネット検索では、見つかりませんでした。鳥取に向かって行って丹比駅の近くに旅館があります。営業されているとの事です。

若桜宿の姫路側の出入り口 ↓

姫路側から来ると、川を渡った先から宿場町が始まります。この橋は、昭和に入ってから付け替えられています。この以前の橋は、この橋から100m程度下流にあったらしく、川の中州に橋桁があったとのことです。そして、その橋の若桜宿側に伊勢道の方向を示す道標がありました。

伊勢道の道案内をする道標 ↓

民家の傍らに、この道標があります。

もともと橋があった場所 ↓

 今はその面影がありません。下の写真の場所から先を進み、川べりに立つと、お地蔵さんとそのほこらが、川の反対側に見えます。以前は橋がここに掛かり、橋を渡った先に、このお地蔵さんが、ありました。当時の、橋につながる道の上に、今では民家が立っています。民家の傍らに道標がある理由です。

若桜宿の中心的な通り ↓

 道幅が随分広いですね。車社会ということと、昭和に入って大火があり、道幅を広げて再建したのでしょう。そしてまっすぐな道ですね。 古い街並みは裏通りに一部、残っているという感じだと思います。蔵通りが思い当たるくらいです。蔵通りが残っているというのは、全国の宿場町で、よくある話です。

 今回、山陰街道の宿場町を1つ1つ巡りました。若桜宿は、山陰街道から外れておりますが、古い街並みを計画的に保存されていると感じました。品のある宿場町だと思います。街の雰囲気が、町に住む人々の品格を表すように思います。いつまでも品がある街であって欲しいと願っています。

  

画像2 (左の写真のみ若桜観光ガイドより拝借)

氷ノ越えに向かう途中の伊勢道の案内標識 ↓

 つく米村の入口辺りでしょうか、上り坂の途中に下の標識があります。国道482号沿いですね。 𣇃米(つくよね)という漢字が、特殊です。簡単に調べてみましたが、”𣇃”の意味が分からず。この先の村の名前が茗荷谷です。茗荷が良くとれたんでしょうか。茗荷の産地は水が冷たくてキレイであることが要件です。納得できる地名です。

  

登山道出入り口の標識(若桜側)

情報通り氷ノ山キャンプ場のソバに、氷ノ越え登山道の入口案内がありました。横の白い標識に旧伊勢道との説明があります。

  

登山道出入り口の標識(養父側) ↓

  

  • 小代峠(おじろとうげ)は通らずに、一番難儀と思える“氷ノ越”と言われる登山道が旧伊勢に向かう伊勢街道です。
  • 自転車では越えられないので、う回道を設定するしかありません。
  • 関宮側の出入り口は福定親水公園で、氷ノ山キャンプ場が若桜側の出入り口です。

若桜宿~関宮宿の所要時間と現在での自転車での道筋 ↓(距離はgoogle検索結果)

  •  福定親水公園~関宮宿は12.7㎞(およそ三里)です。
  •  山越えには、三時間四十五分程度(こちらは案内地図の情報から類推)。
  •  氷ノ山登山道入り口~若桜宿は11.9㎞(およそ三里)です。

  • つまり全行程を踏破すると十時間の行程です。山越えの基本は午前中に通過するです。午後からの山越えは避けないといけません。そうすると当時なら、つく米村あるいは、福定公園の辺りには宿が欲しいですね。実際はどうだったのでしょうか。

 

  • 人力車で走破する場合は、登山道は使えません。代替の道筋は、以下が良いと思います。
  • 29.6㎞(七里あまり)の距離ですが。氷ノ山側から行くと二時間半、福定公園側から行くと三時間半と出ます。
  • 実際に自動二輪車で道筋を確認しました。自転車での走行が可能です。国道482号~おじろじろキャンプ場の手前までは舗装路です。そこから兵庫県側の「やまとよホテル」より1km上の道路までが未舗装路です。「やまとよホテル」~福定公園との分かれ道の間は舗装路です。

  • おじろじろキャンプ場から行くと、こんな感じの道が続いています。峠では近くにスキーリフトの終点が見えます。結構、人の手が入っているのでしょう。
  • おじろじろキャンプ場から行く場合は、道を間違えることはありません。やがて、この道と但馬アルペンルートの合流します。

  • 峠を越えると、すぐに人工的な砂利道に合流します。「但馬アルペンルート」の一部です。

  • ここを西に向かって走っていくと、しばらくして下り坂になり、やがて舗装路になり、スキー場が現れます。左手に「やまとよホテル」が出てきます。突き当りが「青い鳥」です。 
2.まとめ
  •  京都方面から来る場合、九号線沿いの関宮宿➡中瀬金山宿➡氷ノ山登山道が明治初期ののルートで旧伊勢道であることを実地確認しました。
  •  人力車では氷ノ山登山道に向かう道の途中から、氷ノ山スキー場を目指して登っていく。青い鳥レストラン前から「やまとよホテル」の横を通り、但馬アルペンルートを一部利用して小代側のおじろじろキャンプ場に抜ける。それからは秋岡村➡小代峠➡若桜宿に至る道筋が最適と考えました。
  • 悪路&険しい峠越えは午前中に終えるのが良いので、当日はキャンプ場の周辺ホテルに泊まる。午後からの峠越えはやらない。
  • 氷ノ山登山道出入口➡若桜宿の道筋には、いくつか隧道が出来ています。これらの隧道は通らず、う回路します。今でも旧道は使われており、走行可能です。
  • 氷ノ越えの道筋を自転車で走行可能か、別途検証します。担いで越えれれれば、可と考えますが、

ご参考になれば幸いです。

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