平塚から東海道の定番の宿場町を経て京都三条大橋まで行き着いたところで、そこから目的地の1つの若桜宿を経由し、由良宿に至る、おそらくは人生最大の自転車での帰省計画です。江戸期では膝栗毛での往復となりますが、令和の時代での人力による移動は、“馬の代わりに人力車にまたがって”と考えるのが合理的であると思います。
(膝栗毛:膝を栗毛の馬の代わりにして旅をすること。徒歩で旅行すること)
前回のまとめ
- 京都五条から亀山宿からまで一日で行くとして、両宿場の距離は21.4㎞(五里半)です。
- ここでも九号線沿いの宿場町だけを訪ねながら淡々と9号線を進むのが良いと思います。ただ一カ所、隧道があります。ここは隧道の脇の山道があり、そちらが抜けられれば、大丈夫です。確認が必要ですね(老ノ坂です)。
- 途中で須知(しゅうち)宿と園部宿を通過します。それぞれの宿場町には国道九号線から一旦ソレて、それぞれの町中で休憩することになります。
- 京都五条橋と山陰街道の始点(樫原宿当たり)は、おそらく1日かからないと思います。東海道は京都三条大橋が終点だと理解しておりますが、繋がりとしてどうも京都五条大橋が良いように思います。
- 次回は上記の道筋を検証したいと思っています。
三条大橋(京都府京都市東山区)➡樫原宿(京都府京都市西京区)➡亀山宿(京都府亀岡市)➡園部宿(京都府南丹市)➡須知宿(京都府船井郡京丹波町)➡檜山宿(京都府船井郡京丹波町)➡菟原宿(京都府福知山市)➡福知山宿(京都府福知山市)➡
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今回分かったこと
- 亀山宿で一泊するとして、その前の宿泊地は京都のどこかと言いたいところでしたが、参勤交代で京都市内の通過はご法度でした。旅人は大丈夫だったのでしょう。
- 私としては、参勤交代の道筋をたどって進みたいと思いました。その場合、五十四番目の宿場町で、京都の次の宿場町である伏見宿➡樫原宿(山陰街道の始点)➡老ノ坂峠➡亀山宿と進むと思われます。
- 途中で樫原宿を通過します。樫原宿では大通りの両側に宿場町町並みが残っているようです。国道九号線から一旦ソレて、旧市街に向かうということでは、なさそうです 。
- 今回は、江戸から数えて五十四番目の宿場にあたる伏見宿から亀山宿となりますと、道筋の検討から始まりそうです。
- 当初に計画していた道筋は以下の通り。
- 今回、大津宿から京都樫原宿に抜ける最適な道筋は、京都十条橋を経由するということです。↓
- 今度検討すべき区間は、伏見宿と樫原宿との間となります。
- 大津から樫原に抜ける参勤交代道筋について
“七ちょめ”さんのブログより引用させていただきました。
http://matinami.o.oo7.jp/kinki1/katagihara.htm
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江戸時代、参勤交代の大名行列が京都の町を通過するのは許されず、東海道から山陰道にかかるときには、大津から伏見を経て樫原を通り、老ノ坂を越えた。
樫原にも本陣が設けられていて、玉村家(現存)が本陣職を勤めていた。そのほかに旅籠もあり盛期には11軒の宿屋があったという。しかし、江戸中期以降、淀川水運の隆盛と瀬戸内海航路の発達に伴い、樫原宿の利用度は低下し、本陣も丹波・因幡・伯耆など山陰筋諸大名の利用に限られた。
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まとめ
- 大津宿➡京都五条から亀山宿まで行く道筋でなく、大津宿➡伏見宿➡京都十条➡樫原宿➡亀山宿に向かう道筋を再検討します。特に伏見宿➡京都十条➡樫原宿の道筋ですね。
- 今でいう京都十条大橋を渡り、大津宿から深草へ向かう府道?を使っていたのではと思っています。
- 樫原宿➡亀山宿に向かう道中は、九号線沿いの町を訪ねつつ、淡々と九号線を進むことでやはり良いと思われます。ただ一カ所、隧道があります。ここは隧道の脇の山道があり、そちらが抜けられれば、大丈夫です。実地での確認が必要です。老ノ坂です。
- 樫原宿には沢山の宿場町風景が残っているようです(楽しみです)。
皆さんの参考になれば幸いです。
2021年6月30日
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