東海道五十三次の終点から山陰街道の宿場町3
2021年6月13日
平塚から東海道の定番の宿場町を経て京都三条大橋まで行き着いたところで、そこから目的地の1つの若桜宿を経由し、由良宿に至る、おそらくは人生最大の自転車での帰省計画です。江戸期では膝栗毛での往復となりますが、令和の時代での人力による移動は、“馬の代わりに人力車にまたがって”と考えるのが合理的であると思います。
(膝栗毛:膝を栗毛の馬の代わりにして旅をすること。徒歩で旅行すること)
前回のまとめ
- 若桜宿に抜けるには、おそらくは、明治初においては村岡宿(美方郡香美町)から、氷ノ山の小代峠越えをすると思えます。
- 次回はその道筋で正しいかどうかを更に検証してみたいと思います。
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今回、分かったこと
八鹿宿(養父)➡村岡宿(美方郡香美町)➡氷ノ山の小代峠越え道程では、一泊増える
- 京都から行く場合、村岡宿を回って秋岡村を通過し小代峠を越え、若桜宿に至る場合、村岡宿を経由する為、遠回りになってしまいます。
- この道筋を通ると若桜宿まで二泊三日掛かります。村岡宿を経由するのは、より安全かもしれませんが、明らかに遠回りです。
- 何とか小代峠まで遠回りせず、別の尾根を越えて秋岡村に、直接たどり着くことで一泊を減らすことを考えたと思います。
- 秋岡村と八鹿宿を一直線で結ぶ途中に宿場町があると、一日節約できると思います。
- 調べてみると一直線に近い村はいくつかあって、大きそうな村は秀吉の時代から金山があった関宮村です。ここは宿場であったかを調べる価値はありそうです。
- 関宮(コトバンクより転載)
兵庫県中北部,養父市の北西を占め,氷ノ山山麓から円山川の支流八木川流域に広がる旧町域。1956年関宮村と熊次村が合体して町制。2004年八鹿町,養父町,大屋町の 3町と合体し養父市となった。中心集落の関宮は山陰道の旧宿場町。農地は少なく,約 80%が山林,原野である。西部のハチ高原にはスキー場が多く,農家が副業としてスキー客を対象とした民宿を経営する。北東部の山岳地帯は但馬山岳県立自然公園に,西端の氷ノ山東麓一帯は氷ノ山後山那岐山国定公園に属する。
- 上の道筋では、山陰街道の村岡宿の手前で左に折れ秋岡に向かう道筋が気になります。
- 調べてみると、(ハチ北スキー場)を通過して秋岡に抜けているようです。県道531号の入口にある町が気になります。これも宿場町だったのかもしれません。
- ここは兎塚と言われている所で香美町村岡区福岡八幡山あたりです。
- この道筋ですと若桜宿までは41.2㎞(十里半)となり、明るいうちに到達できる距離になってきました。
- 村岡藩 福岡八幡山(公益財団法人但馬ふるさとづくり協会のパンフレットより)
裏路地険探■山陰道・村岡最初の城下町を歩く/香美町村岡区福岡八幡山を中心に栄えた山名村岡藩の城下町三羽の古兎伝説や古墳群が残る旅人達で賑わった山陰の宿場町を歩く兎の霊が住民たちを困らせていたという古兎伝説が残る香美町村岡区福岡。その伝説が由来となり、この地域一帯は「兎う づ か塚」と呼ばれている。国道9号沿いにある集落で、近世には山名村岡藩の城下町として、そして山陰道の宿場町として栄えた。集落の中心にこんもりと・・・・・
まとめ
- 若桜宿に抜けるには、おそらくは明治初においては、和田山宿➡福岡宿➡秋岡村➡小代峠越えが妥当な道程に思えます。この場合は、関宮宿と秋岡村の距離が6㎞(四里半)秋岡村と若桜宿の距離が23.6㎞(六里)。合計で大体、十里半ということです。これ以上、短い道筋はありません。
- 山道を十里半も歩くのは難儀です。やはり秋岡が宿場町だったのかあるいはそれに準じた村だったかを調べないといけません。
- 次回は秋岡村の宿と、そもそも県道531号の原型となるよく使われた山道が明治初にあったの、調べてみたいと思います。
ご参考になれば幸いです。
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